"Club Jazzとは"Club Jazz Session Battle開催にあたって

5/12(金)深夜
The Flamingo vol.3では
コンテンツとして、
"Club Jazz Session Battle"を開催する運びとなりました。
ダンスバトルですが、音楽のジャンルが縛られたバトルは珍しいかなと思います。

参加してくださる皆さん、
観戦してくださる皆さんに
"Club Jazz"という音楽がどんな音楽なのがご紹介したいと思い、
簡単に文章にまとめさせていただきました。

Kyoto Jazz Massive
沖野修也さんが書かれた
「クラブ・ジャズ入門」を参考にして書かせていただいています。

もし、解釈が間違っているところがあったらすみません、ご指摘いただけるとありがたいです。

自分が生まれたのは、1992年で、
アシッドジャズやトーキンラウドができた頃になるんですかね…

実際にパーティーを体験したわけでもありません。

しかし、2000年代、2010年代を生きるジャズダンサーとして、
色んな先輩の方々や、本、レコードの裏に書いてあることなどを繋ぎ合わせて
かつてのイギリスで起こったこのムーブメントに思いを馳せています。


"Club Jazz"とは?
(参考:沖野修也著「クラブ・ジャズ入門」)

1970年代、イギリスのクリス・ヒルやボブ・ジョーンズなどのDJが、ソウルやファンクと並列する形でジャズファンクやフュージョンをディスコでプレイし始めたことが起源にある。
1980年代、その影響を受けたポール・マーフィが、ジャズファンクやフュージョンに加えてハードバップやアフロキューバン、ファンキージャズを「エレクトリック・ボール・ルーム」でプレイするようになる。
これには、黒人ダンサー達が狂喜乱舞した。
やがてポール・マーフィの後継にあたるジャイルス・ピーターソンが「レアグルーヴ・ムーブメント」を巻き起こす。
中古のレコードショップで安く売られていたソウル、ファンク、ジャズファンク、フュージョンに新しい価値を見いだし、ダンスミュージックとして再生。
ジャイルス・ピーターソンはやがて盟友パトリック・フォージと
「トーキンラウド・セイイン・サムシング」というパーティーを始める。
このパーティーは
◎ダンサー向けのジャズセット
◎イギリスのジャズミュージシャン達によるライブセット
◎ジャズの影響を受けたあらゆる音楽を紹介するDJタイム
によって構成されていた。
時代は流れ、1990年代。
ジャイルス・ピーターソンは「アシッドジャズ」というレーベルを立ち上げ(ジェームス・テイラーやブランニューヘヴィーズ、ジャミロクワイらが所属)、
そこから独立して新たなレーベル「トーキンラウド」(インコグニート、ガリアーノ、4ヒーローらが所属)を設立する。
これを機に、この動きは「アシッドジャズ・ムーブメント」としてイギリスだけでなく世界中に広まっていった。
日本のクラブでも、このムーブメントが浸透していく。
それを、日本での先駆けである沖野修也氏が「クラブジャズ・ムーブメント」と名付けた。
クラブジャズの定義を表すのに必要なキーワードは4つ。
◎踊れる
◎発掘
◎リバイバル
◎クロスオーバー
クラブジャズとは、「クラブでDJが使えるジャズ」を包括的に表す言葉である。



東京エキセントリックピーナツ

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